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紆余曲折を経て今は村上信五さんをゆるっと応援しています。
2014年01月05日 (日) | 編集 |
デイリーの話をするのをすっかり忘れてましたわ。

なんと。我が富山。売ってないというwwwww。そんなことある?びっくりしたわ。
おかげで早朝からスッピン、スエットにダウン、ムートンってカッコで
近所のコンビニで済ませるはずが隣県のセブンイレブンまで車を走らされる羽目に。
130円の新聞にガソリン代300円くらいかけてw。おにぎりも買って食べたわ。金沢の味(嘘)。

そんな想いのデイリーの中身はけっこうソツがなくwww。

みなさんがちょっと引っかかったであろう村上さんのコメント。
「やりたいことと、できることと、もとめられていることにばらつきがでてるのかなと感じた」


これに近い事なんかでも言ってませんでしたっけ。媒体の記憶もないけど。
思慮深くみなさん思ってらっしゃるみたいでしたが。
たぶん、村上さんのことやから←そこまで案ずる話でもないかな、と私は捉えています。
きっと、仕分けあたりに対して思ってることで、2013年の仕事全体を通しての話でも、個人的な感傷でもないでしょう。

まぁ、実際おっしゃるとおり、ですしね。この言葉で私が気になるのは“もとめられてる”が、誰にもとめられてるっていう意味なのか、ということです。番組とか制作サイドからもとめられているものか、ファンからなのか、一般の方からなのか、各々違うということ、そこをすり合わせていくことが大事ですよ、と言いたい。
これから先その3つがどんどん離れていってしまうのが見えるんで、ね。

実はそれを考える間もなく時が過ぎる感じが怖いんだなぁ。。。
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テーマ:関ジャ二∞
ジャンル:アイドル・芸能
2014年01月05日 (日) | 編集 |
「人生はしばしば階段に例えられるが、そんな人生のうちほんの一瞬くらい、階段そのものについて考えてみる時間があっても良いのではないだろうか」

勝手に連動企画やからブログの引用文更に勝手に引用してやったぜ。(見てる?ごめんやで。てへぺろん♪)

人生を階段に例えるって言葉を見て、最初に浮かんだのが

「(8周年について)もちろん、いろいろできたことはうれしいですし達成感もありましたけれど、あくまでも過程なのかなって思ってましたね。この先何ができるのかわからないけれど、そのもう一個先を見るための階段なのかなって思って、一個一個成功させたいって思いながらやってました」(cut2013年4月号)

という安田さんの言葉でした。なんでやろ。読んだ時は修行僧みたいな考えや思った記憶。どこまで高みに行ってもゴールはその上にある、っていう。

あと、子供の頃図書館で読んだ絵本も思い出した。
単純な黒マジックだけで描かれたようなやつで、
男の子が階段をのぼる⇒のぼり切った先に別の階段が出てくるの繰り返しで、
いろんな種類の階段をのぼってく。
5つくらいのぼりきると、そこに大人の女性が笑って立っていて、
二人で仲良く手をつないで、新たな長い階段をのぼってくとこで終わり。

しゅーる。。。

意味は解るけど子供読んで楽しいやつかこれ、って思った。一回しか読んでないのに強烈に覚えてる。

なんでしょうね。ちょっといいこと言うたったふうに書くと、
ヒトはいつもどっかにたどり着きたくて、階段をのぼっているんだ、っていう。
もひとつおもたんは、はじめに階段いうもの考えた人は
どこかにのぼりたかったのか
どこかからおりたかったのか

…これええこと言うたでしょ。どうよ。だめ?w
やっぱ階段で話いまひとつ広がらんな。あかんな。企画倒れや。
冒頭文がやたら気に入った、ということだけ伝わればw。